NPO法人ともに生きる街ふくおかの会: 異文化理解の実感

2018年4月19日木曜日

異文化理解の実感

ずいぶんご無沙汰しております。
すっかり、ブログの更新が遅れてしまっていました…
これからは、もう少し頑張って更新します!

さて、当NPOの理事である村上さんより、異文化理解の体験談です。
読みながら、みなさんも「そうそう、そうだよね」と納得するのではないでしょうか。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 街中で、もしくはエレベーターの中で大きな声でお話ししている中国人(語)の方を見て「もう少し小さめな声で話せないのかな」と思ったことはありませんか。
 正直に告白しますと、私はあります。

そんな中で、先日非常に印象に残る出来事がありました。

その日、私は中国人の友人数人と食事会をしていました。日本人は私ひとり。彼女たちは全員日本語が堪能なので、日ごろ私が同席しているときは中国人同士の会話でも日本語で話してくれます。

ただ、その日は話に夢中になったためか一つの会話の中でも、ちょっとしたきっかけで日本語から中国語に切り替わり、また何かのきっかけで日本語に切り替わり。その場に二つの言語がくるくると交わっていました。
  
 そんな中、出た話題が『なぜ中国人は声が大きいのか』ということです。
(「中国人」とひとくくりにしてまとめてしまうのは、随分乱暴な話だとはわかっていますが、私たちの個人的な場での話題ということで、許して下さい。)

 色んな意見が出ましたが、その日の会話の様子を振り返った一人の人がふと言った意見がその場で全員の賛同を得ましたので紹介します。
  
【中国人の声が大きいのではなく、中国語を話しているときの声が大きいのではないか。】

つまり、日本には「下記」「夏季」「柿」「花器」のように、同じ表記の言葉を音の上げ下げや文脈で判断することがありますが、中国語はより多くあり、繊細で、発音は中国語という言語の中で非常に重要な位置を占めているそうです。そのため、きちんと相手に伝わるように、大きくはっきりと発声する癖がついているのではないか。
  
 言語学の知識等も何もない人間が集まって、雑談から生まれた結論ですので、全く根拠のない話ですが、私は妙に納得してしまいました。

 そして、その考えをもってから、大きな声で話される中国語が全く気にならなくなりました。なぜなら、彼らはむやみに大声をはっている訳ではなく、彼らにとっての適正な音量で話しているのであり、それは大声と判断するものではないと考えるようになったからです。
 
 本団体のNPO活動をとおし、多文化共生とは、お互いの文化を知り、尊重することであることを学びました。
 今回のことは、それを私の中で実感し、意識することができた非常に嬉しい体験でした。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++