NPO法人ともに生きる街ふくおかの会: オランダで考えたこと~一緒に住むって大事ですね~

2017年4月4日火曜日

オランダで考えたこと~一緒に住むって大事ですね~

 ともいき代表の吉谷です。
 3月に1週間ほどオランダ、アムステルダムを訪問しましたので、そのとき考えたことを少し書いてみようと思います。

 折しも、アメリカのトランプ大統領誕生以降、相次いで「異文化排外的な」動きが見られるなか、オランダの総選挙でも極右(移民排外政策を訴える)政党オランダ自由党が第1党にはならなかったものの、国会での第2党として勢力を拡大したあとでした。そのほか、滞在期間中に英国はEU離脱を通告しましたし、フランスの大統領選挙でもルペンの国民戦線の動向が取りざたされており、ヨーロッパでも「自国民優先(単一文化化)」、移民排除の動きが活発化しており、何かと騒がしい時期でした。
 空港や主要駅などの交通の要所は以前にも増して警戒が厳しく、武装した軍や警察の要員が多く見られました。フランクフルト国際空港の入国審査では、普段よりも長く、ほぼ全員の入国者に細かい質問がなされていたようです。また同空港での帰りには、チェックイン・カウンターのエリアも時間が近づくまで立ち入り禁止エリアになっていて、何が起こったのかという不穏な感じもありました。

 以上のような感じだったのですが、にもかかわらず、というべきでしょうか、オランダの風景を見て考えさせられました。というのも、オランダで感じる「自由さ」のようなものはなんだろうか、ということです。

 アメリカで起こっている移民や他者の分離とどうやら違う雰囲気があるように思わされました。ちょうど機内で見た「Loving(ラビング、愛という名前の二人)」という映画は、アメリカの1960年代、南部の「異人種間結婚禁止法」に翻弄された白人の夫、黒人の妻の物語でした。1924年の人種統合法以来、アメリカでは白人の優越性を守るため、異人種間の混交(Miscegenation)が禁止されており、異人種間の結婚を認めるワシントンでの結婚の後、州に戻った二人(ラビング夫妻)はバージニア州の裁判所で有罪とされ、州内に二人で立ち入ることを禁止されてしまいます(1959年)。
 意に反してワシントン州に逃れて生活を始めた二人は、1963年のキング牧師のワシントン大行進などの公民権運動のなかで、アメリカ自由人権協会(ACLU)の協力の下、州を相手に裁判を起こしますが、ようやくこの判決の不当性が連邦最高裁によって認められたのは1969612日です。ちなみに全米全州でこの判決(612日は「ラビングデイ」と称されるそうです。)が認められるのは、最後になった2000年のアラバマ州での承認の時点だそうです。このような点にもアメリカの現実を支える雰囲気があるのかな、と思わされました。こうしたなかにトランプ大統領誕生の素地があるのでしょうか(あくまで印象ですが)。

 さて、オランダではどうでしょうか。感じた違いは単純なものです。
 たとえば、友人の家もお隣は東南アジア出身の家族であり、母語と宗教の違いを持っていても普通に隣人として交流し、生活しています。町中でも、職場でも、多文化の人々が特に意識せず、住み、暮らし、働くことができています。特に、肌の色の違う恋人が手をつないで歩く姿を見るのは、オランダの町中では普通の景色に属します。
そう、なんとなく感じた違いはここだったのでしょうね。
公園で寝そべっている人、カフェでお茶する人、バーで飲んでいる人、まさに「混ざり合っている(Living Together)」ことに価値があるのだと思います。単に部分的なものを見ているだけなのかもしれませんが、これって結構大事ですね。

福岡の日常はこうした状況になれるでしょうか。